中国の古い言葉に「口有蜜、腹有剣/口に蜜あり、腹に剣あり」というのがあります。
私の無私の献身的な努力はついに第2生産隊社員の心を動かしました。
他の11の生産隊からも評判を受けるようになりました。
正面攻撃が効かなくなった反対勢力の3人組は、表では私を褒め殺しにし、
裏では上層部に悪口ばかり言いました。
しかし、反対勢力の3人組がいくら巧みに告げ口をしても、
第2生産隊が貧困生産隊から脱出し始めた事実と、
その中の私の役割を否定することはできませんでした。
第2生産隊の社員たちが怒り始めました。上層部に3人組を訴えました。
さっそく上層部から調査団が派遣されました。
調査団と社員代表の前で3人組は私の悪口を言うことが出来ませんでした。
1975年1月私は第2生産隊隊長に推薦されました。
1975年5月私の共産党入りが認可されました。
同時に私は八道大隊(12の生産隊の集合体)ナンバー2に抜擢されました。
第2生産隊の3人組の党内外の職務はすべて解かれました。
私は医科大学で勉強している弘蓮姉に手紙を書きました。
涙の手紙でした。
ちなみに、当時手紙の切手代は0.08元/1.2円しましたが、
わが家には切手を買う現金がなくて、
私が小さい時からかわいがってもらっていた小学校のP先生に買ってもらいました。
お金を借りる恥ずかしさより、
20年以上も現金収入のない生活を営んできた母のことが心痛かったです。
私は心の中で叫びました。
「母さん、もうしばらくの辛抱です。
もう少し待っていてください。
父さんの分まで頑張って必ず母さんを幸せにしてあげますから」。(つづく)