フランスの哲学者アンリ・ベルクソンはいいました。
「どこまでいけるかを知る方法はただ一つ、
出発して歩き始めることだ」。
父の自殺で私を徹底的につぶそうとする3人組は猖獗極まるものでした。
社会に出でてから始めてもらったヘビーパンチに頭がふらつきましたが、
私は耐えてこらえました。
前にもまして働き、前にもまして毛主席語録を勉強しました。
毛主席の語録は自己防衛の最強の武器でした。
朝3時ごろには必ず起き、好天の日には青年隊員を呼び起こし、
雨と雪の日には一人で朝飯前の奉仕作業をしました。
各家庭から出てくる糞尿を毎朝集め、
山から取ってきた腐葉土と混ぜて有機肥料を作りました。
田植えのシーズンには、朝3時から夜8時まで働きましたが、
普通の社員と同じ工賃で満足しました。
1974年は長い一年でしたが、いよいよ実りの秋を迎えました。
田畑も私たちの期待に応えてくれました。
穀物の収穫量は最高記録を突破し、
一日の工賃も第2生産隊有史以来の1元/15円を超えました。
我が家の借金も一気に300元ほど減り、残りの380元は射程内でした。
現金を手にする家庭が増えました。
第2生産隊の忘年会はいつになく歓喜にあふれました。
私も思いっきり歌い、思いっきり踊りました。
父の死後初めての笑いでした。(つづく)