31.夢の大学
1979年9月、私は念願の大学の夢を実現しました。
学長の唐敖慶教授が中国最高学術機関、中国科学アカデミーの主席をしていたので、
吉林大学は全国重点大学の中でもかなり有名でした。
当然全国からレベルの高い学生たちが集まってきます。
私は所詮田舎の大将でしたので、クラスメートの学識の豊かさには圧倒されました。
これがまた私の眠っていた闘争心を燃やしてくれました。
私は大学の図書館の日本語の書籍を、簡単な童話から世界文学全集まで読破するプランを立てました。
自分の好きな勉強だったので、使いきれないパワーがわいてきました。
私にはまた野心がありました。
当時吉林大学日本語学科では、毎年一人日本文部省奨学金留学生を一人選抜していへ送りました。
毎月20万円の奨学金に、5年間の博士コースまで保障されているというジャパンドリームでした。
2年先輩ではCさんが選ばれて日本へ行きました。
1年先輩ではYさんが選ばれました。ところが、健診でひっかかり、日本行きが取り消しになりました。
北京の教育部(文部省)が怒りました。
北京大学と吉林大学にしか与えていない貴重な二枠中、一枠が台無しになったからです。
運命のいたずらというか、私が卒業するときには、その一枠が吉林大学から
上海外国語大学に回されてしまいました。自分の努力だけだったらそれほど悔やまなかったでしょうが、
私のために、すでに自分の前途を放棄して、故郷へ戻った弟弘基のことを思うと、
私は気が気でなりませんでした。
いくらYさんを恨んでも何も始まりません。
31年経った2013年3月、私は福岡で大学の教授をしているYさんと一献交わしました。
もう昔のうらみはありません。その時、日本留学を果たせなかったおかげで、
今の妻と結婚でき、今の娘がいるのです。今になってはYさんに感謝するのみです。・・・ ・・・