母は今も病院で寝たきりです。意識はまだ完全には戻っていないままです。
毎日看病してくれている二人の弟に電話して様子を聞いておりますが、母の状態は少しずつ回復されているようです。毎日それを聞くのが楽しみです。昨日は便がたくさん出たよ、今日は昨日より少し多く食べたよ、今日は握手を求めたら母が手を伸ばしてきたよ、などなど、私にとってこれ以上嬉しいことはありません。今は母が生きていることに感謝し、母が毎日少しでも回復していることに感謝、喜びを感じます。...
私の母金玉子、82歳、五人を子供を産んで育てた偉大なる母です。
私の父の夫に愛され幸せな家庭を築き上げ、そのまま幸せの人生を歩んでいくはずでしたが、思わぬ苦難に遭遇して大変な苦労をしました。
1966年から始まった前代未聞の中国文化大革命。小学校校長をしていた父が失脚、迫害を受ける羽目になりました。父にかけられたのは「資本主義の代表者」というわけのわからない「罪」。父だけでなく、ほとんどすべての組織、企業のトップがこのような罪を懸けられたのです。父はすべての政治的、経済的権利を奪われ、毎日のように大勢の群集の前に立たされ、「批闘」を受けねばなりませんでした。また、「労働改造」という名目で牛を飼う仕事を強制的にさせられました。
私たち子供たちも「罪人」の子供というので白目にみられることはもちろん、時には歩いてでも石ごろが投げられてくることもしばしばありました。
そんななかで一番辛かったのはやはり母だったと思います。父の批闘会が終わると母がそっと父に寄り添い、家まで連れて帰りました。また、家庭経済が破綻していたので、それまで肉体労働をしたことがない御嬢さん出身の母が毎日昼間は煉瓦をつくる仕事、夜はセメントをつくる工場で働きました。体を張って私たち子供、家族を守ってくれたのです。(続く)