私の母①
いままでゆっくり母について考えることがあまりなかった。
母が健康で生きていて当たり前。母はいつまでも元気で生きてくれていると、勘違いしていた。
この度母が脳出血で倒れていつでも母の命がこの世から去っていくかもしれないとわかった時に、私の全神全霊が母に向かった。母をこのまま亡くすわけにはいかない!お母さん、生きてくれ!この世に生きているだけでいいから。私たちから離れないで!と心から必死に叫んだ。母の生命力が私たちの期待に応えてくれた。
お母さん、生きてくれてありがとう!私に母孝行の機会を残してくれてありがとう!
...
母、金玉子、1933年生まれ、今年82歳。
裕福な家庭の一人娘として生まれて、若いときは町で就職して青年団の一員として生き生き活躍したという。二十歳のときに兄貴が小学校の教師として勤める田舎に遊びに行ったときに、私の父に出会う。父はその時26歳の若さで小学校の校長を務めており、美人の母に一目ぼれ。母のほうはこんな田舎に嫁ぐ気は全くなかったようだが、母以外の人との結婚は考えられないと、父が粘ったすえに、母をゲットして結婚したらしい!(おかげで私が生まれました。笑)
仕事一筋で働く父と結婚して五人の子供を育て、苦労はあったようだが、父に愛され幸せだったと母は言っていた。母の本当の苦労は1966年文化大革命で父が失脚し、迫害を受けてからであった。(続く)