「親を思う心に勝る親心。」
18日~昨日まで中国母のそばに行ってきました。
この度母は二度目の危機を乗り越えました。
脳出血で倒れて二週間生死をさまよって生還。一か月病院生活を経て退院。それで安定して回復するはずでしたが、鼻食の管を抜いて口で食べることを試みましたが、食道に炎症があるようでなかなか飲み込むのが苦しいいみたいで、必要とする食事と水分の供給ができず、栄養失調に落ちいたのです。また、何かの原因かで下痢が続いて脱水症状まで出て手足がパンパンにむくみ、免疫力が低下して肺炎を起こして救急で病院に運ばれました。医師の判断は今日明日の命、呼ぶべき親族に知らせてください、とのことだったのです。私もその知らせを受けてすぐにでも飛んでいく用意をしていました。6月18日の飛行機はすでにとっていましたが、それまで母は生きれないのではと、毎日電話で様子を伺う日々でした。そばにいる弟はもう一日様子見ようと、言ってくれてはらはらしながら日本ですごしていまして、18日まで持ってくれました。18日私が病院に駆け付けたときに、母は病院で抗生物質の点滴と栄養剤投入、塩水…の補給などの治療が二週間続いたところでした。炎症はだいぶ治まり、むくみもだいぶ引いていました。西洋医学の救急治療の威力で母は命を取り留めました。しかし、二週間も抗生物質の点滴を受けると母は目を開ける力もなくなるほど、体力が低下していました。どうも抗生物質の点滴を受けると顔色が黒くなり、苦しそうになっていました。私はこれ以上抗生物質を受け続けることは危険と判断して、即主治医にお願いして抗生物質の点滴中止しました。父が抗生物質の副作用で命を奪われたことは、忘れることはありません。抗生物質の投与がなくなるとこれ以上病院ですることはないので、退院することになりました。
私が行って二日目の20日母は退院しました。
自宅に戻ると母はうれしそうな表情をして、喜んでくれました。
毎日食事療法に全力を挙げて取り組みました。鼻の管はつけたままの退院。毎日8食、薬膳粥、野菜汁、果物汁、魚スープ、カモ肉スープ、漢方薬などなど毎日変わり変わりで母に食べさせました。あとは鍼の代わりにツボマッサージ、手足の運動、舌のマッサージなど欠かさずやりました。私は一日ほぼ24時間母のそばにいました。
今しかできないこと、精一杯やらせてもらいました。
吉中軍団の皆さん、気功教室の皆さんが折ってくださった千羽鶴は母の見えるところにかけておいて毎日母に触らせました。
多くの日本のみなさんの祈り、願いも母にとどいたと思います。
奇跡は起こりました。退院後の母の容態は見る見るうちに回復してきました。
うんこもおしっこも正常で、顔色が明るくなってきてのどに絡む痰もほとんどなくなりました。睡眠も安定して、夜9時に寝るとなんのトラブルもなく朝5時までぐっすり寝れるようになりました。
言葉はまだ出ませんが、意識はほとんど回復して私もはっきりわかってくれるようになりました。
まだまだ寝たきりの母ですが、そんな状態でも私たちのことを案じてくれるのです。夜遅くまで母のそばでマッサージをしていると、母は私を押し離すのです。早く寝なさいと。私がまだ大丈夫ですと、言ったら、電気を消すように指示するのです。私は涙があふれ出すのを必死に我慢しました。
まさに、「親を思う心に勝る親心。」自分の体よりいつも子供たちのことを優先する母です。
今回母の病気から多くのことを学びました。
何があっても、あきらめないこと。そして気持ち、想い、見えない力は大きいエネルギーになってひとつの大きい治る流れをつくること。
母を助けたい私たち家族の想い、そしてそれに答えようとする母の想いが一つになって、これからも母は回復に向かって前進するでしょう。
わくわく、楽しみです。
写真は8年前に母を関空から中国に見送りする私の家族です。