中国の古い言葉に
「父母的操心永無止境/親の心配は永遠にきりがない」とありますが、
吉田松陰先生の「親思う心に勝る親心」でしょうか。
子がいくら親孝行をしようとしても、親の子を思う心配には叶いません。
ラーメンも作ったことのない私でしたが、母が疲労で倒れてはいけないと、
買い物、炊事、洗濯を一所懸命にしました。
妻は中国政府派遣の留学でしたので、大連工業大学から給料がそのまま出ました。
当時は日本語のブームにあいまって、大連外国語大学日本語学部主催の
日本語通信教育はかなり人気があり、副収入が給料より多かったです。
また、私はいくつかの日本語講座を持っていたので、
市場経済が始まったばかりの当時ではかなり余裕のある生活が出来ました。
それに、妻が日本から帰るときに、カラーテレビ、冷蔵庫、自動洗濯機、
カメラを買ってきましたので、周りがみんな羨ましがっていました。
姉たちからも弟からも小遣いをもらっていましたので、どこかで地震が起きたり、
水害があったりすると、母はいつも私たちより多くの金額を寄付しました。
母は娘の面倒を見る時間以外は、ほとんど大連キリスト教会に行っていました。
熱心に聖書を読んだりして、幸せに満ちている母を見ていると、
私は日本に行きたいと本音を打ち明けることが出来ませんでした。
1991年1月妻が二度目の日本留学に立った時、
母は私を呼びました。
「私のことは心配せずに日本へ行きなさい」… …