山上憶良は書きました。
「白銀も 黄金も玉も 何せむに まされる宝 子にしかめやも」。
娘の誕生を私は心から喜びました。
当時の中国では、妻の出産に立ち会うどころか、
産婦人科病院は男性立ち入り禁止になっていたので、
私は期待と不安の入り混じった心境で大連市立産婦人科病院の周りをうろうろしていました。
どんな子が生まれてくるだろうか。29歳での出産は無事だろうか。
むかしのいろんなことが走馬灯のように目の前をかすめていきました。
一時結婚を断念し、去勢までしようとした私が父親になるなんて信じられませんでした。
妻に申し訳ない、これから生まれてくる新しい命に申し訳ないととめどなく自分を責めました。
母親似の元気な女の子が無事生まれたとの連絡を受けたとき、
私は安堵感と共にこの上ない喜びを感じました。
母子ともに元気でよかったです。
娘が私のように三つ口で生まれなくてよかったです。
娘が生まれたこの感動を、お父さんになったこの喜びを、
私は天地に向かってぶちまけました。
私が生まれたときは、笑ってくれる人も、喜んでくれる人もいませんでしたが、
娘の誕生を私は気が狂うほど笑い、喜びました。
この子だけには私のような辛い思いを絶対させまいと心の中で誓ってまた誓いました。… …