1977年3月私は龍井市電線工場に左遷されました。
めまぐるしく変化する夢と現実とのキャップで、私の気持ちはかなり高ぶっていました。
私は人生のすべてを大学と母孝行に掛けることにしました。
男を捨てる決心をしました。
恋の誘惑に負けないように、私は去勢を決めました。
ご先祖様には申し訳ないとは思いながら、家のことは弟に託すことにしました。
周りにはできちゃった婚で夢をあきらめる若者が続出しました。
しかし、龍井市で一番大きい龍井市立第一病院はなかなか手術してくれません。
精神病院での検査を進められ、腹が立ちましたが、仕方がありませんでした。
当時は一人っ子政策の前哨戦のパイプカットが押し進められていましたので、
私はなんとか龍井市衛生局の手術許可証明書を手にし、病院側と直談判をしました。
病院側は私の唐突な行為に手を焼いていました。
3回目の談判をしているさなかに、私の故郷の病院のL先生が院長室に入ってきました。
驚いたL先生がすぐ私の家に連絡を入れました。
たちまち故郷の八道村は私のうわさで騒ぎ出しました。
私が強制的に精神病院に入れられたとまでうわさが広がりました。
弟が飛んできました。弟は2日間何も言わずに私の寮で寝泊まりしながら、私を観察しました。
3日目の朝になってお母さんがだいぶ心配していると言いだしました。
私は「お母さんには申し訳ないことをした。お前が見ている通り私は心身ともに健全だ。
もうこんなバカなまねはしないからお母さんによく話してくれ」と頼みました。
龍井市のホープにまでおだてあげられてからわずか5か月で、電線工場の見習い工に落とされた私は、
東西南北の分別が全く効かない真っ暗闇の中で、泣くに泣けずただもがくことしかできませんでした。… …