一昨日の神戸新聞に市川町山下義宣先生の記事が載っていました。
その記事を見てみると
「戦国武将柴田勝家ゆかりの柴田神社(兵庫県市川町坂戸)で、春季例祭があった。
同神社には長年絵馬がなかったが、市川高校の元美術教諭、山下義宣さん(74)が描いた
勝家の武勇伝「瓶割り柴田」の絵馬を奉納。参加者は1人ずつ手を合わせ、地域の発展を願った。
坂戸地区と隣の奥地区には、柴田の名字を持つ家が約60軒集まっている。言い伝えによると、
織田信長の家臣だった柴田勝家が1583年に豊臣秀吉に滅ぼされた際、一族の男児が乳母とともに
落ち武者として逃れ、坂戸地区に住み着いた。」
山下先生の母方も柴田家だそうです。さっそく山下先生に「山下先生の気骨は柴田勝家の
遺伝子が受け継がれていますね」とお祝いの電話を入れました。
私が大好きな掲題の「鈍牛不退」は、実は山下先生の言葉であります。
日本で初めてそば打ち最高段位5段に昇格した人は8人ですが、山下先生は関西で唯一5段のそば打ち
名人に昇進され、今から15年前の2007年NHKをはじめ各メディアを大いに沸かせました。
私は福島県磐梯山麓で開催された5段そば打ち名人授賞式にゲスト参加し、山下先生の偉業と
名誉を祝福しました。
帰ってからは私が発起人となり姫路キャッスルホテルで盛大な祝賀会をしてあげました。
そのお礼というか、山下先生は私の家で2回そば打ちを披露しましたが、その時、私が牛が好きで
集めた牛の骨とう品や書を見学しました。
それから、1か月ほどして山下先生から掲題の
「鈍牛不退」の扁額が送られてきました。
山下先生の奥様の手作りの本格牛革セカンドバッグも
一緒でしたが、バッグの正面には山下先生が書いた
私が一番好きな牛の骨とう品の絵が焼き印されていました。
感無量でした。
山下先生は小柄な人ですが、何事も徹底的にやり通す、気骨のある男中の男です。
播磨ハングル研究会を主宰して40年になりますが、今は今はハングル講師として、そば打ち名人として
市川町観光大使として活躍しております。
私が来日して間もなく、山下先生に少しハングを教えたことがありますが、それがきっかけで
山下先生とは家族ぐるみの付き合いをさせていただいております。
山下先生こそ「鈍牛不退」の名実相伴う、私が尊敬してやまない男ですが、一昨日の神戸新聞の
記事で、山下先生の気骨の拠所を垣間見たような気がしてなりません。