森鴎外の「舞姫」「高瀬舟」などは、難しいというかあまり興味がなかった
というか、あまり印象に残っていません。森鴎外は軍医でありながら小説を
書いて有名になったくらいしか覚えていません。
森鴎外に比べて尾崎紅葉の「金色夜叉」は最初から強烈的でした。
熱海には3回行ってきましたが、海辺の貫一とお宮の銅像の前では自然に
「ああ、宮さんこうして二人が一処にいるのも今夜限だ。いいか、宮さん、
一月の十七日だ。来年の今月今夜になったらば、僕の涙で必ず月は曇らして
見せるから」を口遊みました。
大学時代に金色夜叉を読むとき、ちょうど大学農場で大豆畑の草取りをしましたが、
田舎の泥水を嘗めるような生活を経験した私は高校から直接大学に入った同級生より
スピードが断然早く、あっという間に後ろの人が見えないくらいでした。
大きな声で貫一のこの名セリフを繰り返し繰り返し真似ししたものです。
大学に入学する前に、すでに韓国の「長恨夢」を読みましたが、主人公の
イ・スイルとシム・スネの物語、歌、名セリフが「金色夜叉」とほとんど
一緒でしたので、最初はびっくり仰天するほどでした。
「金色夜叉」のストリーがすっと頭に入るのと、主人公と登場人物の名前こそ違うものの
各セリフが一緒だったので、日本語の理解と勉強にとても役立ちました。
後でわかりましたが、韓国の「長恨夢」は日本の「金色夜叉」の翻案小説でした。
偶然にしては妙すぎると思っていたものの、失望感が無きにしも非ずでしたが、
そんなことはどうでもいいとすぐ「金色夜叉」の虜になってしまいました。
「金色夜叉」をただの小説だけでなく、日本語勉強の教科書として取り組んだのは、
今に振り返ってみても、本当によかったな、の一言に尽きます。
夏目漱石の「坊ちゃん」以来の日本語のテキストになりましたが、第3番目の日本語の
テキストになる小説にはその後出会えませんでした。(詩を除く」