廓庵師遠は中国北宋末南宋初期の禅僧でかの有名な十牛図を残しました。
日本でも多くの画家が十牛図、尋牛図などのタイトルで十牛図を画いたり、
解釈したりいますが、牛の骨董品を集めている私も一式持っています。
禅宗の自分探しの旅で人の生きる目的を説いたと思いますが、そんな難しい
話しはさておいて、自分と自己について「我」という漢字から深い感銘を
受けましたので触れてみたいと思います。
「我/が」を捨てて「我/われ」を探す。なかなか味のある言葉です。
「我」を全部捨てれば、自分を失ってしまうので、「我」の左上の「はね」を
捨てれば「找/さがす=探」になり、本当の自分探しになりますが、「我」を
そのまま主張すると自己主義の自己になります。
「我」を捨てる、「利他」に生きるは、言うのは簡単ですが、行うのは、つまり
実践するのはなかなか難しいものですね。人間一生涯のテーマかもしれませんね。
「自分を失ってはいけない」自分と「自己主張ばかり」の自己、どちらもわたくし、
われを表しますが、その分別ができるように自己啓発と研鑽を重ねたいと思います。
家内から「近頃短気がなくなった」と言われ、うれしいやらさびしいやら。
昔自分が短気だったのは「会社をよくするため、大きくするため」と正当化した
過去がありましたが、それこそが極端の「自己満足」の自己主張でした。
でも、短気は決して褒められる長所ではありませんが、それを含めて私木元正均の
アイデンティティーであって、短気がなくなるということは、自分を失いかねない
こともありうるのではと少し危惧しています。
いずれにせよ、これまでは真面目に生きる、一所懸命に生きるだけを目標に掲げて
きましたが、私一人だけでしたら、この二つの目標で十分ですが、なぜなら、これ二つの
目標だけでも利他的に生きられますが、それが十分な利他にならないので、これからは
楽しく生きるを追加したいと思うようになりました。
私が楽しくならないと、私の一番近くにいる家内が楽しくならないことを還暦を過ぎて
やっと悟るようになりました。
「自分」と「自己」への挑戦はまだまだ続きます。