広島から来たOさん、85歳。
一緒に写真を撮ろうとしても頑固に断られましたので
電工工具と木工工具でいっぱいの車を取らせてもらいました。
隣の車で車中泊していたので、朝コーヒーを沸かして持って
行きましたが、「要らん」と断れました。
ラーメン一食も二食も同じ手間ですので、作ってあげましょうかと
尋ねたら、同じく「要らん」と断られました。
へんてこなおじいさんだなあと思いましたが、その謎はすぐ解けました。
一日だけ一緒に仕事をさせてもらいましたが、なかなか何でもできる
達人でした。電気関係のいろんな免許を持っていますが、定年後は
木工にはまったそうです。
震災で家がゆがんでしまい、ドアとかふすまがうまく開かないところを
修理してあげたりするので、引っ張りタコです。
洗濯干し場の波板屋根を修理するとき、私たちは怖くて上がれないのに、
85歳のおじいさんが波板屋根の上を自由自在に行き来しながら直しました。
すっかり脱帽してしまいました。
お昼家主のYさんがおいしいカレーを作ってくれたので、私たちはお変わりしましたが、
Oさんが一口も食べませんでした。一日3食アンパン一個ずつの生活を貫いてきたとか。
コーヒーは飲まず主義。
感心したのはこれではなく、すでに1か月間車で寝食をしながら支援活動に参加
しています。車の中で一か月も滞在するのは大変ではないですかと私が聞くと、
どうもない、新潟中越震災の時には3か月間この車で車中泊しながら支援活動に
参加したと言いました。目の前のこの小さな85歳のおじいさんがとても
大きく偉大に見えました。
各県庁市役所から支援に派遣されてきて、ホテルに泊まりながら、
タクシーでボランティアセンターに通う公務員たちには、月とすっぽんの
皮肉でした。