一昨日新北京で「七夕の宴」が開催されました。
友人の出田恵美子さんが主催していますのでできるだけ参加するようにしています。
出田さんは漢詩作りに造詣が深く、李白や杜甫の足跡を辿って100回近く訪中して
います。その時に出逢ったお茶がきっかけで、東洋文化とお茶を楽しむ会を作り、
中国と台湾のいろんなお茶を紹介しています。
今回の目玉は琉球民謡伝統協会姫路支部による沖縄の三味線と民謡でした。
「子守歌」「浜辺の歌」「花」など素晴らしい沖縄の民謡を沢山聞かせていただきました。
私が最初沖縄民謡に涙を流したのは、「十九の春」でした。
北海道登山の帰りに小樽から舞鶴までの船の中で偶然見たNHKBS番組で
「十九の春」が流れ、世論島民の100年あまりの、九州炭鉱、満州開拓団、
太平洋戦争の嘉義丸沈没、ブラジル移住など苦難の歴史が紹介されました。
メロディーは一緒ですが、その時代その時代の歌詞が歌われ、私の心を揺さぶり、
はらはらと落涙させました。その時の悲壮な気持ちは永遠に忘れることはありません。
今「十九の春」は100以上の歌詞があり、幸せな歌詞も、学校や団体ごとの歌詞も
あるそうですが、世論島民の流転、漂流の歌詞こそが本家の本チャンだと思います。
一昨日「十九の春」は歌われませんでしたが、心は何度も「十九の春」の世界へ
行っていました。