今日は春分の日、一日中雨でした。
暑さ寒さも彼岸までとありますが、正岡子規の句「毎年よ
彼岸の入りに寒いのは」と永井史郎先生の「彼岸のヒヨコ殺し」が
頭をよぎります。
永井先生がこの度めでたく卆壽を迎えられ、昨日マルセイイベントルームで
記念祝賀会を開催しました。
先生の卆壽に私は先生がお好きな中華料理を腕によりをかけて作りました。
永井先生とのご縁は36年前に遡ります。
大連工業大学の講師だった妻聖花は36年前生まれて2か月9日の娘仁玉を離れて、中国大連から
広島大学の永井先生の門下生になりまりました。聖花28歳の時でした。
一年後、永井先生は聖花に博士コースまで研究を続けるよう勧めましたが、娘が恋しくて
大連に戻ってきました。
翌年聖花の取次で、永井先生は大連工業大学で講演することになり、大連工業大学の
名誉教授になりました。
その時、私は永井先生を我が家に招待し中国家庭料理でもてなしましたが、永井先生が特に
喜んだのは食事より母との対話でした。
母は私よりきれいな日本語をしゃべりますが、永井先生と日本の童謡もたくさん歌いました。
永井先生は母と日本語で会話した唯一の日本人です。
その時聖花の研究室を見学した永井先生は、このような実験機器ではデータを出しにくいと
判断し、聖花の二度目の広島大学の留学助成金を用意してくださいました。
その後永井先生は聖花のヤエガキ発酵技研研究所での就職を推薦し、永井先生も広島大学を
退官されてからヤエガキ発酵技研の専務取締役研究所長になられました。
75歳でヤエガキを退職された永井先生はマルセイの顧問として15年お世話になりました。
聖花がヤエガキグループ初の主任研究員になれたのも、ヤエガキ在籍11年間に9件の特許を
出せたのも永井先生のご指導の賜物だと深く感謝しております。
13年前永井先生の喜寿祝いがホテルニューオータニ大阪で盛大に開催されました。
博士卒業生だけでも100人を輩出した永井先生の門下生たちが世界各地から、日本津々浦々から
一堂に集まりました。タイの文部大臣、ブラジル大学の学長、日本発酵、製薬大手の重役など錚々たる
メンバーたちが集まりましたが、唯一永井先生の門下生でない者が一人おりました。
言うまでもなく私ですが、永井先生と一番多く盃を交わしているのは自分であると自負しております。
昨日の祝賀会では聖花が乾杯の音頭を取りました。感無量で言葉が途切れる場面もありました。
マルセイ三姉妹から永井先生にマルセイ全員の顔写真を載せた酵素温泉をプレゼントされました。
中締めで私は「水を飲むとき井戸を掘った人を忘れるな」を引用し、公私ともに大恩人である
永井先生を永遠に忘れることなく尊敬していくことを固く約束しました。
半人前の漢方、発酵職人・素人俳人・吟詠初心者 木元正均
清峰流の創始 吟道清峰流 (eonet.ne.jp)(私が所属している吟道清峰流猶興吟詠会HPです)