去る4月30日宍粟市山崎町の母栖村に行ってきました。
今は廃村になっていて誰も住んでいませんが、墓地がきれいになっているのを
見れば、いまだにお墓参りが絶えていないようでした。
母栖村は平家の落ち人が難を逃れて隠れ住んでいた村ですが、マルセイと深い縁が
あると言えば、みなさんさぞ驚くに相違ありません。
平安時代末期の平清盛子孫と中国からきた私たちがどういう縁でつながっているでしょう。
母栖村は平清盛の孫平維盛の奥方富士局が平滿友を連れて住み込み、築いた村です。
その子孫で何代目になるか定かではないという方が我らの恩人永井史郎先生です。
神社も家も外見ではきれいですが、鳥居が倒れて居たりちょっと寂しい光景でした。
永井先生は小さい時、父親と杉の木をたくさん植えたそうですが、父親が口癖のように
「50年経ったらこの杉が1本1万円(今の100万円相当?)もするからお前ら大金持ちになる」
といったそうです。80年ほど経った今所々大きな杉の木が空を突いていましたが、この木は
ひょっとしたら永井先生が植えたのではと想像をめぐらしました。
こんな廃村になった山奥から、阪大を出て東大の博士、
助教授になり、広大の教授として日本生物工学会の会長を
2期歴任、瑞宝中受賞に輝くなど小川から龍が出た伝説を
作りました。
36年前に家内が中国政府派遣研究生として永井先生の
門下生になったのが縁で、私たちの今日があるといっても
決して過言ではありません。
(永井先生と共に元ヤエガキ専務宮下さんも私たちの恩人です。写真左)
永井先生は米寿を過ぎた今でも週に一回出社し、
マルセイの現役顧問として活躍されています。
永井先生からは健康長寿をテーマにご指導を
賜っていますが、先日もがん患者を支援する
WAHAHAの勉強会で、ミトコンドリアの講義をされました。
偶然永井先生から母栖村の話を聞き、先生への感謝の気持ちを込めて今回の母栖村探索を
敢行しました。最後は宍粟50名山母栖山に登り今回の探索を締めくくりました。