平成25年度養默カレンダー「母への思い12章」にこう書いてあります。
「母さんの計算には、いつも自分が入ってなかった」
私が4歳の時に弟が生まれました。
弟は生まれた時から可愛かったので、みんなをよく笑わせてくれました。
しかし、母にとって食べ口が一人増えたことは重荷がひとつ増えたことでもありました。
母はいつも朝飯を抜きにしながら
「私は先に食べたからみんな食べなさい」と言っていました。
厳冬期の零下30度の日でも落ち豆や落ちトウモロコシを拾いに山畑に出かけました。
雪をかき分けながらひと粒ひと粒豆やとうもろこしを拾って食事の足しにしていました。
指先と足のかかとがあかぎれで血だらけになっていました。
薬が買えなかった母はよくその患部に味噌を塗っていました。
日本人の心に残る歌100選に「母さんの歌」があります。
その3段のはじめは
「母さんのあかぎれいたい 生味噌をすりこむ」となっていますが、
まさに母のそのままの写生です。
幼い私の脳裏に焼きつけられたこの光景は、いまもわけなく涙をさそいます。
「どんなことがあってもこの子達をまもりぬく」
母の堅い誓の裏には母の血のにじむような必死の奮闘がつづきます。(つづく)