森信三先生は言いました。
「逆境は神の恩寵的試練である」。
それにしても文化大革命が我が家を破滅的な
窮地に追い込んだのはいまだに納得がいきません。
私が生まれた八道村には2000人ほどの人が住んでいました。
我が家は村一の貧乏でしたが、家の中は笑いが絶えないくらい暖かい日々でした。
それがある日、突然父と母が紅衛兵に連行されていきました。
中国文化大革命の火花がついにこの静かな山村に飛びついたのです。
紅衛兵(こうえいへい)とは、
文化大革命初期に台頭した全国的な青年学生運動で、
「旧思想、旧文化、旧風俗、旧習慣の打破」をスローガンにしていました。
この「四旧の打破」の真っ先に来たのが宗教でした。
中学校の運動場にはすでにカトリックの神父さんが尖り帽子をかぶせられ、
「宗教はアヘンだ」の板の看板を首に掛けられていました。
父もたちまち尖り帽子をかぶせられ、板の看板を掛けられました。
母も父の横に立たせられましたが、帽子と看板は無しでした。
父はお爺の後をついたというか、村のキリスト教の長老をしていました。
紅衛兵たちは「坦白従寛、抗拒従厳!/正直に白状すれば寛大に処罰し、
逆らえば厳しく処罰するぞ」と叫びながら、罪を認めるように父を脅かしました。
父は正直で短気でしたのですぐ
「信仰は憲法上自由だと保障されているのに何が罪だ!」と反抗しました。
するとたちまち紅衛兵から往復びんたを食わされました。
おとなしい神父さんは何も言わず黙っていたから打たれなかったですが、
反抗的な父は紅衛兵たちに踏んだり蹴ったりの暴行を受けました。
そばにいた母が体で父をかばおうとしましたが、すぐ突っつかれました。
重たい看板の針金が父のうなじに食い込んでいきました。(つづく)