毎年春の清明節と秋の中秋節には故郷に帰り、私と家内両家の
お墓参りをします。
今回の私の帰郷に合わせて大連に住んでいるSさんとWさんが
わざわざ延吉に駆けつけてくれました。
二人とも私の後輩ですが、摩訶不思議まではいきませんが、
三人とも朴という同じ姓です。
同じ八道の出身です。
それだけでなく、Sさんは私の中学校時代の担任先生の娘で、
Wさんは私の中学校時代の校長先生の息子です。
この三人が大学卒業後、こともあろうにみんな大連の大学の教師と
なりました。
大連にいたときには、それこそ実の兄弟みたいに家族ぐるみの
付き合いをしました。
20年ほど前、Sさんが神戸大学に留学に来た時には、姫路の我が家に
泊まりながら最初のアパート探しや学校支度をしたものです。
今年の2月末にはSさんが友人と日本を観光しながら姫路に来てくれました。
宮島の厳島神社と広島平和記念資料館を案内しながら、昔の思い出話に
花を咲かせました。
それが今回私がお墓参りに帰省すると知るや否や、すぐ私のスケジュールに
合わせて生まれ故郷の八道で会いましょうのメールが入りました。
願ってもないうれしい限りです。
八道村も時代の流れに逆らうことができず、今はすっかり衰退してしまい、
「触景生情/ものの哀れ」というか、昔通っていた小学校は跡形もなくなり
ただ古木になった大きな楡の木が私たちを迎えてくれるのみでした。
事情を聴きと、八道村は延吉市に合併され、学生たちはみな延吉に
行って勉強するとか。
でもいやな思いばかりではありませんでした。
遠くの山を眺めながら、村の横を流れている川を眺めながら、
この八道の空気と水が私たちの骨格を強くし、私たちが生きた時代が
私たちに夢をあきらめない根性を植え込んでくれたと故郷への
感謝の念に堪えませんでした。
独りよがりかもしれませんが、私は他の生徒より特に担任先生と
校長先生にかわいがっていただいたと思います。
夜はまた二人にごちそうになりながら、童年時代に戻り至福の
ハッピータイムに酔いしれていました。
この旅で遅ればせながら、担任先生の慰霊に手を合わせていただきました。
先生のその時のその一言がなかったら今日の私はいません。
思う存分羽ばたいて先生に良い報告をしますという約束はいまだに
ほど遠いですが、今日まで愚直に前を向いて走ってきたこの自慢の
愛弟子を、担任先生も校長先生もどんなことがあっても天国から
見守ってくれることでしょう。