毎年2回ほど芥川賞と直木賞で世間はにぎわいますが、この賞を創設し、
日本文学と作家の育成に大いに貢献した菊池寛についてはあまり報道されない
のは、ちょっと残念に思われて仕方がありません。
戦後GHQに公職を追われ、59歳に急死しましたが、菊池寛の功績は、少なくとも
私に与えた影響は多大なものがありました。
私は日本人の働きぶりをよく「お弁当精神」「匠の技」「トンネル精神」と表現
しますが、「トンネル精神」は菊池寛の「恩讐の彼方に」由来します。
「トンネル精神」は、贖罪と寛恕という「恩讐の彼方に」の主題とはかけ離れて
いますが、もちろん主君を殺し、様々な悪事を働いた贖罪にノミと槌でトンネルを掘った
禅海和尚と仇討ちに出た中川実之助が市九郎(禅海和尚)と「二人はすべてを忘れて感激の
涙にむせび合うのであった」の物語には幾度となく感動の涙を流しましたが、「トンネル精神」
はまぎれもなく「恩讐の彼方に」からきています。
小説では20年かけて禅海和尚がトンネルを掘ったとありますが、実はトンネルが開通するには
30年かかったそうです。
250年前今のように掘削機もない時代にノミと槌だけで写真の
ようなトンネルを100m以上も掘ったというのは、不屈の精神と
あきらめない精神の賜物ほかにはなりません。
大学時代に大いに感動させてもらった「恩讐の彼方に」のロケ地
青の洞門を家内と訪れましたが、結果は来なければよかったという
惨めなことになりました。
心をワクワクさせながら、今は新しいトンネルができているため
使われていない昔の手堀のトンネルを見学し、待望の禅海和尚(銅像)
との対面を果たしましたが、トンネル開通後人は4文、馬は8文の通過料をもらって、禅海和尚は大金持ちに
なったという衝撃的な事実を知り、昔の「恩讐の彼方に」の美しくて感動的だったイメージが一瞬に
消えてしまいました。
これまでに、北海道の然別湖、萩の松陰神社、道後温泉坊ちゃんの地、伊豆の修善寺、雪国の野沢温泉など
数多くの名作ゆかりの地を訪れ、新しい発見や美しい思い出を重ねてきましたが、今回はちょっと例外でした。
家内には何度も来なければよかったと言いましたが、菊池寛への尊敬の念、「恩讐の彼方に」への感謝の心は
今も変わりはありません。