徳川家康は言いました。
「人の一生は重荷を背負いて遠き道を行くがごとし」。
弘基と向き合って語り合う夢は美しいそのものでしたが、
「人間万事塞翁が馬」のように、
私たちの夢はとんでもない方向へ動き出しました。
私より6歳下のクラスメートが十人以上いたように、
4歳下の弘基は私より1年先輩でした。
私より1年早く卒業することになります。
1982年7月の卒業を前に、弟は突然都会の就職機会を拒んで、
かたくなに故郷へ帰ると言い出しました。
当時は卒業生が自ら就職活動をするのではなく、
国が勤務先を決めてくれました。
学校の推薦が決め手になりますので、
弘基は非常に優位な立場でした。
大学を含め大手企業など幾つの選択肢がありました。
都会に残ったほうが海外へ行くチャンスも多く、
自分の発展に有利なのは言うまでもありません。
しかし、弘基は
「私はもう決めました。私は故郷へ帰ります」ときっぱり言いました。
大学のクラスメートも、先生たちもみんな不思議です。
ほかの人は望んでいても推薦を受けられないからいけないのに、
何が弘基を都会から600キロも離れた山奥へ導いたでしょうか。(つづく)