座右の銘とは、常に身の回りにおいて自分を戒めたり励ましたりする言葉。
座左の銘という言葉もありますが、座右の銘が一般的に使われているようです。
ちょっと前に私は家の便座の後ろに徳川家康の「人の一生は重き荷を背負って
遠き道を行くが如し急ぐべからず。不自由を常と思えば不足なし。心に望み起こらば
困窮したる時を想い出すべし。堪忍は無事長久の基。勝つことばかり知りて負くることを
知らざれば其の害身に至る。己を責めて人を責むるな。及ばざるは過ぎたるより勝れ
り。」の戒めを置いて、座後の銘とブログに書いたことがあります。
私が尊敬している方々に座右の銘を聞いてみたことがありますが、本当に励みになり
勇気とパワーをいただく言葉ばかりでした。
一期一会、天に棄物無し、人生一度きり、不撓不屈、初心忘れるべからず、継続は力
なり、人事を尽くして天命を待つ、足るを知る、苦難福門、失敗は成功の基などなど。
人はそれぞれ自分の座右の銘を持っていますが、同じ人でも少年期、壮年期、老年期
によって違う座右の銘を自分の行動指針にすることもありうるし、生涯ぶれずに一つの
座右の銘を通すことも素晴らしいと思います。
私事で恐縮ですが、私の少年時代、青年時代は時代の浮き沈みに翻弄されることが多
く、生き残るためには「不撓不屈」や「人生能有幾回搏/人生に大奮闘のチャンス何回
あるぞ」「精神一到で何事成らざらん」を行動指針にしてきました。
幾たびの挫折や大学、大学院時代を学習を得て、何のために奮闘しなければならない
かや、自分のために、家族のために、会社のために、社会のために、究極的には何を
しなければならないのかを自分流で問いかけ、自分流で答えを求め始めました。
そこでたどり着いたのが老子の「重積徳則無不克/陰徳を積めば克服できぬ困難無し」
でした。親孝行が十分にできなかったことへの反省の答えも、苦労を掛けた妻子に
できることもすべてこの老子の教えの中にあるような気がしてなりません。
まだまだ修行の身で足りないことばかりですが、この座右の銘で自分を照らしながら
残り人生の旅を続けていきたいと思います。