お旅山山頂のサツキがきれいです。
花の周りを草刈りしているので一層鮮やかです。
躑躅もピークを過ぎましたが、所々残っていて
人々の目を楽しませてくれています。
特にこのシーズンになると鶯のさえずりが盛んで
小さなあの鳥がどこからあんなにきれいで美しい声が
出るかといつも不思議に思うくらいです。
一昔前に俳句の先輩が、自然公園みたいな庭を持っている方ですが、
庭で鶯がよく鳴いてくれているが、まだ成鳥になっていない小鳥は
鳴き声がおかしなくらい下手で一人で笑いながら聞いていると何度も
言っていました。
私の詩吟は俳句の先輩が言っていた若鶯くらいだなあと思うときが
多々あります。お旅山山頂で周りに人がいないときは発声練習をしたりしますが、素人が聞いたら、いい声出ますね
とほめてくれますが、玄人が聞いたらあの俳句の先輩のようにへたくそだなあと思うに違いありません。
でも、今は迷惑にならない程度あまり周りを気にせず声を出したりしています。
「山笑う」は、山が深い冬の眠りから目覚め、万物蘇生の春の喜びを表す季語ですが、今は何かおもしろおかしな
ことが起きたときのからかう春の季語として使われることも少なくないようです。
故郷やどちらを見ても山笑う⇒正岡子規(本来の使われ方)
山笑う共に忘るる齢となり(変化した使われ方)
古稀過ぎて描く未来図山笑う(変化した使われ方)
間違った漢字でもみんなが長年使うと正しい使い方になる例がいくらでもあるように、
「山笑う」の変化した使われ方が、何年か先には本来の使い方を超えるかもしれないと
私は確信しています。
今日もまた下手な吟詠山笑う⇒正均