その後も私たちが来日したとき、娘は母と一緒にまたもやふるさとの
姉の家で1年間暮らしました。
娘が来日してからも、5歳から小学校の低学年までかぎっ子として
冬の寒い、暗い中をバス停で母の帰りを待つ毎日でした。
それから二十数年が経ちました。
娘は私たちの誕生日や、結婚記念日、母の日父の日、お正月などことあるたびに
海外旅行、温泉旅行やサプライズプレゼントを贈ってくれたりしました。
娘たちも、公私ともに充実した生活を送っていて私たちを喜ばせてくれました。
ここに私たちの誤算?がありました。
娘たちは東京暮らしなので、私と家内は今の会社を生涯現役で続けながら、
講演や、ボランティア活動、海外旅行や登山をメインに、社会への恩返しと
充実した楽しい生活を目指そうとしていました。
それが、お母さんの発酵技術と漢方ノウハウをそのまま終わらせるのは
終わらせるのはもったいないと、娘が大きな決心をしたので、私も家内も
びっくり驚きました。
想定外ではありましたが、内心家内共々うれしかったです。
娘にバドンタッチするからにはと、私も家内も今後の人生設計図を
新たにし、趣味もボランティアも当分は自粛しながら、会社発展に
全力を注ごうとしました。
経営向上計画も立て、国の補助金での設備投資も目の届くところまで
来ていました。今の古い設備だけでなく、きちんとした格好にして
娘に継いでもらいたかったです。
それが先日娘が私たちの計画を聞いて東京から飛んできました。
「お父さん、お母さんは中国から日本に来て、ゼロからスタートして
苦労をしながら私を育て、マルセイを築き上げました。
今までの苦労で十分です。これからは好きな登山旅行や、趣味を
楽しみながら元気で長生きしてほしいです。」
「お父さんお母さんももう六十を過ぎましたから頑張りすぎは
禁物です。」と私たちに元の生活に戻るよう説教?されました。
そういえば、10代、20代、30代の時、私には母のために何をしたら
よいか、今何ができるかが最大の使命でした。
今娘が私たちにそれをぶつけるのです。
こんな娘を本当に誇りに思います。