アメリカの詩人で作家のヘンリー・デヴィッド・ソローは言いました。
「私は人生をあるがままに楽しむ」。
弘淑姉は私より4歳上で、大人しい性格でした。
子供の時よく食べ物を譲ってくれたり、かばってくれたりしました。
もし弘淑姉が男だったら、私はいじめられることなくすむだろうのになあと、
小さい時によく思ったものです。
弘淑姉は父の言うことをよく守っていたので、鞭の洗礼が一番少なかったと覚えています。
中学二年生の時に文化大革命に巻き込まれ、
無政府、無教学の状態で田舎に放り出されました。
16歳の時から野良仕事を強いられましたが、
姉は別に苦にすることもなく、きつい仕事を楽しむかのようにさえみえました。
それが、17歳の時に堤防強化工事に参加し、落ちてきた足場板に頭を打たれました。
気を失った状態で病院に運ばれましたが、大事には至らず三日後に退院して家で静養しました。
その後、姉は本を読みだすとすぐ頭が痛くなり、好きだった本も読めなくなりました。
今の制度だと十分に労災に値しますが、
当時は治療費と10日間の日当をもらうのが精いっぱいでした。
父も2階の屋根から落ちて腰を痛め、仕事がほとんどできなくなりましたが、
父が亡くなって10年後、けがしてからは実に25年後その労災がやっと認められました。
労災が認められても、父の10年を保証するものではなく、
残っていた家の借金を免除してもらうだけでした。(つづく)