はじめに
母の胎内で、できたばかりの小さな命は、殺しにおそいかかってくる劇薬をのけようと一生懸命にもがきました。これは「母さん、助けてくれよ!」との無言の叫びでした。
三つ口に生まれた赤ちゃんは、虚弱のあまり産声もあげられませんでした。古い毛布にくるめられ、山の墓場へ持っていかれる寸前です。「母さん、ぼくを捨てないで!」と赤ちゃんはあわてて叫びましたが、声を出すことが出来ませんでした。
村の子供たちに「泣き虫や~い!」「ウサギ口や~い!」といじめられた時、少年はいつも一人ぼっちで川辺を歩きました。そして泣きながら川に向かって叫びました。「母さん、ぼく絶対強くなるよ!」
手足のあかぎれに生みそをすり込む母を見ながら、「母さん、ぼく大きくなったら絶対母さんを楽にしてあげるよ!」と少年は心の中で叫びました。
自殺した父の棺の前に小さくなっている母の後姿を眺めながら、「母さん、父さんの分までぼくかならず母さんを幸せにしてあげるよ!」と青年は星空に向かって叫びました。
それから40年近くたちました。天国に一番近いエベレスト山頂にその男は立ちました。男は東の方を向いて、渾身の力を絞って叫びました。「お母さん、ありがとう!」「お母さん、生んでくれてありがとう!」。
本書は、生まれてはならない運命にありながら、奇跡的に生かされた私と、数奇的な生涯を送った母との愛の物語りです。同時に、平気で子が親を刺したり、親が子を絞めたりするこの世の中に対する、憤慨の叫びでもあります。
母の偉大な母性愛と、それにこたえようとする母思いの心があれば、もっと明るく、もっと思いやりのある暖かい世の中になるのではとつくづく思う次第です。
本書が親孝行をめざしている、あるいはまだ気づいていない若い人々に、なにかの新しい気付きのきっかけになることを切に願ってやみません。
また、いじめにあって落ち込んでいたり、あるいは人生の挫折で悩んでいたり、あるいは難病で苦しんでいたりする人々に、少しでも勇気を与えることが出来れば幸甚です。