ウィリアム・シェイクスピアはいいました。
「成し遂げんとした志を、ただ1回の敗北によって捨ててはいけない」。
穀物の収穫量が上がると、各家庭に分配されるお米やトウモロコシの量も増えます。
一日の工賃もかなり上がりましたので第2生産隊の皆さんは大喜びでした。
早くも私を生産隊長に押す声があっちこっちであがりました。
1年目の奮闘で手ごたえを覚えた私たち青年団は2年目の計画と目標で燃えていました。
危機感を感じた反対勢力の3人組は、「眼中党無し」「生産第一で政治をばかにする」
「家庭背景に問題が多すぎる」などで私をつぶしにかかりました。
それでも私を支持する社員のほうが多かったので、
私も今年はもっと頑張るぞと闘志を燃やしていました。
ちょうどこの時期の、1974年2月父が突然自殺しました。
これで大勢は一変し、勝負が決まりました。
当時の自殺は社会主義と共産党への反逆行為で、反革命の罪です。
反対勢力の3人組はここぞといわんばかりに、私を容赦なく踏みにじりました。
何回も父の代わりに大会で反省させられました。
生産隊長の話は議題にすら上がりませんでした。
父は初期の文化大革命で迫害を受けてから、精神状態が不安定でした。
2か月ほど失語症になり、自分のジェスチャーがうまく伝わらないと、茶碗を投げたりしました。
お酒が飲めなかった父が泣き上戸になり、母の手を握っては
「お前には苦労ばかり掛けてすまん」を繰り返すばかりでした。
私は父を恨みました。
姉も大学に行ったし、私も社会に出たし、
もう少し我慢すれば長年の借金生活が終わります。
一生母に苦労を掛けただけでも罪が重すぎるのに、
なぜこんな最後を取って母の胸にくぎを打ったかが許せませんでした。
父の死を冷静に、まともに考え直したのはそれから36年たってからの2010年7月でした。(つづく)