イギリスの詩人オリバー・ゴールドスミスは言いました。
「最大の名誉は、決して倒れないことではない。
倒れるたびに起き上がることである」。
高校から大学への道が閉ざされ、人生初の挫折感を覚えましたが、
青春の真っただ中にいた18歳の青年は、田舎の田んぼと畑で新たな闘志を燃やしました。
小さい時から薪を背負って山を登り降り、田植えや畑仕事で骨を太くしてきた私は、
どんな苦労にも負けない自信がありました。
現に弘蓮姉があんな逆境から医科大学へいった手本がありました。
「私は女だから反対勢力に勝てずに故郷を離れるけど、
お前は男だから必ず勝って離れるんだ」。
姉の言葉を胸に敵陣に果敢に向かいましたが、
政治は人を殺すことも生かすことも、
あるいは表舞台から永遠に抹殺することもできることを、
純粋な若者は知る由もありませんでした。
前からの凶弾は怖くなかったですが、
後ろから飛んでくる毒矢はよけようがありませんでした。
八道村には12の生産隊があり、私の家は第2生産隊でした。
一つの生産隊は30戸から40戸で150人ほどの人口です。
第2生産隊はそのなかで一番貧しく、
凶年の時には1日の工賃が0.20元/3円ほどしかありませんでした。
大雨の日など畑に入れない日を除いて年間350日働いても70元/1,050円です。
なぜこんなところまで落ち込んだかというと、
それは人災による因果応報だというしかありません。(つづく)