老子は言いました。
「河や海が数知れぬ渓流のそそぐところとなるのは、
身を低きに置くからである」。
私は高校卒業成績平均98点という過去にうぬぼれていました。
会社を一日も休みませんでした。また希望大学の設定が高すぎました。
外部からの迫害や攻撃には耐えられてきましたが、
身の程知らずの身から出た錆には、怒り心頭に発しました。
自分を殺したいくらい憎みました。
半年後の1978年7月に二度目チャレンジしましたが、
二日目の物理が思わしくなかったので、
三日目は受験を放棄しました。
私はハンマーで頭を殴られたように目の前が真っ暗になりました。
中国には「無顔見江東父老/故郷の親に逢う面目がない」
という言葉がありますが、まさに私のことでした。
母のことを思うと気が気でなりませんでした。
現役高校生の受験参入で大学のハードルはだんだん高くなっていきました。
理想と現実のキャップを痛いほど思い知らされました。
3度目の1979年7月私は現実的に試験を受けました。
そして9月優秀な成績で吉林大学外国語学部日本語学科に入りました。(つづく)