レオナルド・ダ・ヴィンチは言いました。
「苦労せざる者は幸運に値せず」。
アメリカのカーネギーは言いました。
「清く貧しい家庭に育った子供は、裕福な家庭とは違い、
かけがえのない宝物を与えられている」。
母がいくら一年間頑張っても年末はいつも赤字で、現金収入はゼロでした。
唯一の現金収入源は豚と鶏でした。
今のように自由に養豚養鶏が許されたのではなく、一
家に一匹の豚と五羽ほどの鶏くらいでした。
いつも食料が足りない時代でしたから、飼料などがあったわけでなく、
畑のタンポポや、ノゲシなどを餌にしていました。
夏場に沢山とっておいて乾燥させたものを冬場に与えました。
私は10歳になるまでは放課後一人で山の畑へ行って豚の餌をとってきましたが、
弟の弘基が6歳になってからはいつも弟を連れて行きました。
6歳だからあまり役立つことはなかったと思いますが、
一人だと退屈だったので、怖がる弟をうまいことをいって一緒に行きました。
小さい荷物を背負った弟は山道でよく転んだりしましたが、
虎やオオカミが怖くていつも私にぺったりくっついて歩きました。
薪を背負って帰るときもそうですが、
できるだけ一回に沢山もって帰るために、荷物を二つにします。
一つの荷物を100mほど先に運び、すぐ戻っては次の荷物を200m先に運びます。
このように往復すれば、1日で2日分のものを取ってくることが出来ます。
母の喜ぶ顔が見たくて、母によく頑張ったとほめてもらいたくて、
いつもやっと立ち上がるくらい背負って帰りました。
弟は未だに自分の背が伸びなかったのは
小さい時から重いものを背負いすぎたからだと言っていますが、
このような厳しい生活環境の中で兄弟の絆は固く結ばれていきます。(つづく)