日本の端午の節句はとっくに過ぎていますが、
今年の旧暦の端午の節句は6月2日でした。
日本では中華レストランに行かない限り、家で粽を作って食べることは
あまりないと思います。
毎年この端午の節句と重なるのが例の天安門事件です。
当時私は大学で卒業をまじかにしている4年生を教えていました。
2年生の時から担任になり、7月になれば人生初の教え子たちの巣立ちです。
北京の学生運動の波は大連までに及び、教え子のSさんが北京に駆けつけ、
天安門事件に巻き込まれました。Sさんは大学でリーダー的存在で、学業も優秀で、
すでに北京の中国人民大学大学院の合格通知を手にしていました。
9月のある日、Sさんが突然私の家に訪ねてきました。中国人民大学で勉強しているはずの
Sさんを見てびっくり。天安門学生運動に参加したのがたたり、入学取り消しになったそうです。
当時中国では個人の就活がなく、国の方と学校側が相談して就職先が決まります。
他の卒業生たちはとっくに勤務地についているのに、Sさんは大学院を拒否されたばかりでなく
政治的レッテルを張られたため、どこも受け入れようとしません。
Sさんは私の家に泊まりながら、一か月近く頑張った末、大連進出の日本企業に入りました。
「人間万事塞翁が馬」とありますが、Sさんは日本企業で重役まで登り詰め、その後赤字で
苦しんでいる国営企業を請け負いました。Sさんは日本企業で学んだ経営管理と企業管理法で
見事に企業再建に成功し、今は大連市が誇る企業家になりました。
平成16年の春、Sさんは夏徳仁大連市長が率いる大連市企業家訪日団の一員として来日し、
わざわざ姫路まで会いに来てくれました。涙が出るほどうれしかったです。