何とか5800mの第2キャンプに着きましたが、高山病で
ふらふらになりました。テントに入るや否や倒れてしまいました。
このままでは明日のアタックは無理だろうと半ばあきらめていたが、
少し休むと頭が軽くなってきました。
山の天気は本当に分かりません。前日まで風も穏やかで玉珠山の山頂が
綺麗に見えていたのに、夜中から大吹雪になりました。
吹雪の中の出発となりましたが、何人かがアタックをやめ下山しました。
私は命をガイドに預けるつもりでアタックに参加しました。
ちょっとルートを外れたら腰まではまってしまい抜け出すのも大変です。
夜ほとんど寝ていないので出発して間もなく疲れてしまいました。
一歩を踏み出すのがなかなか大変です。高山病で朝ちょっと食べたものまで
全部、いや胃液まで吐き出す羽目になりました。
何度もあきらめようかと思いましたが、4度の100キロ、アルプス縦走の
大変な時を思い出しながら多登り続けました。
苦難の末何とか山頂に立ちました。
よく頑張りましたとガイドのデンジンさんが励ましてくれました。
事故は下山の時におきました。
メガネをはずしていたので足元がはっきり見えません。
その上疲れ果てていたので足元がフラフラです。
垂直に近い氷壁のところでロープにエイト環をかけようとしゃがんだとき
滑って転んで滑落し始めました。
無意識的に差し込んだピッケルが刺さり何とか止まりましたが、
体全身が伸びていて右手のピッケルにかろうじてぶら下がっていました。
左手の五本の指をゆっくり雪の中へはめ込みました。次に左足のアイゼンの前針を
ゆっくりけりこみました。三点セットの確認で死なずに済むと元気が出ました。
無意識的に差し込んだピッケルで九死に一生を得ました。
1500mは優にある下に滑落したら想像するだけでも背筋がぞっとします。
ベースキャップが目に見えてきたとき涙がとどめなく流れ出ました。
日本の山でも何回も死にそうになったことがありましたが、涙したことは
ありませんでした。
ちなみに、今回の玉珠山の打ち上げパーティーは大変気まずいムードでした。
8人のパーティーで登頂者は私一人だけでした。
玉珠山から日本に戻って私はすぐ目のレーシック手術を受けました。