島崎藤村はふるさとを
「血につながるふるさと
心につながるふるさと
言葉につながるふるさと」と表現しました。
先日娘夫妻を連れてふるさとに帰り、父と母に報告かたがた
お墓参りをしました。
いつものことですが、車を走らせて遠くにふるさとの山々が
見えてくると、胸がときめき、毎日のように駆け巡った在りし日に
思いをはせます。
大変な幼年期と青春時代でしたが、ふるさとの水で骨が太くなり、
ふるさとの空気で夢を膨らましました。
21歳の時ふるさとを出てすでに40年近くなりますが、ふるさとを
忘れたことは一度たりともありません。
ふるさとの恩は泰山のように重いですが、いまだに何一つ恩返しが
出来ていません。心の隅にはいつも申し訳ない思いが残っています。
姫路に来てすでに24年が過ぎました。
アメリカの1年余りと東京の1年余りを除いても姫路での生活が
ふるさとの生活期間を越え、揺るぎない第2のふるさとになりました。
多くの方々に良縁をいただき、娘も無事に巣立ちできたことに
心から感謝しています。また心から愛しています。
私が、私の家族が生活していくうえに、この二つの
ふるさとは、渇いた時にのどを潤してくれる泉のように
勇気と希望を与えてくれることでしょう。
(写真長姉が庭園で育てた唐茄子の前で妻と娘)