アメリカの著名な盲人歌手スティーヴィー・ワンダは言いました。
「母は私の最も偉大な教師である。
母は慈愛に満ち、何者にも恐れない
精神に富んでいる教師である」。
アメリカの作家ババラーは書きました。
「母親の力は自然界の法則に勝る」。
父の家もそこそこの生活をしていましたので、
母も結婚当初は幸せでした。
それが新しい中国が出来てから、個人財産は全て取り上げられました。
それからは集団労働、集団生活です。
母も父と一緒に馴れない田植えや畑の草取りや稲の取り入れに出ました。
野良仕事をやったことのない母でしたが、一生懸命にみんなについていきました。
父が2階の屋根から落ちて仕事に出られなくなってからは、
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一家を養う負担が全て母の双肩に掛かりました。
父が働いていても大変な時期に、母だけの我が家は貧乏そのものでした。
母の仕事の休憩時間に、豚の餌になる草を取ったり、
薪を拾ったりして人の倍以上働きました。
年間決算になるとほかの家は現金収入があって喜んだりしましたが、
我が家はいつも赤字でした。
火の車のような家計でしたが、母は愚痴をこぼしませんでした。
「空は絶対落ちてこない。いつかはきっといい日が来る」。
母はいつの間にか淑やかなお嬢様から強かなお母様に変わっていました。