先日蒜山高原からの帰りに安富町関の名水千壽の水を汲んできました。

関のいたるところに、遠くから見れば本物と錯覚するくらいのじいちゃんばあちゃんの

案山子が立っていました。さすが案山子の里と感心する一方、過疎化一途の山奥で

暮らす高齢者たちの幸福度を考えると、余計なお世話かもしれませんが、晴れ晴れの

気持ちにはなれませんでした。

小さかった時に、6才の弟を連れて山に行って薪を切って背負ってきたり、山の畑に

行って草取りをしてきたりすると、母は大変喜んでくれました。

災難の10年の文化大革命が終わり、大学センター試験が復活し、兄弟そろって大学に

受かると、母の喜びはひとしお大きかったです。

お母さんはきっと幸せを満喫していると思い込んできましたが、還暦を過ぎた母が息子

二人を遠くへ送るときの心境はいかがだっただろうと今思うと母に申し訳ない気持ちの

方が強くなります。

と申しますのは、大学受験に落ちて田舎で親と一緒に暮らす友たちはどれだけ親孝行

したかは別にして、少なくとも遠くの子を案じる寂しい思いを親にさせることはなかった

だろうし、良い時も悪い時も親と時間を共にしてあげたことが親の幸せではなかった

でしょうか。つづく。