お母さんが帰ってくるまでなんとか元気に育ってくれよとすがる思い、

いや祈る思いでしたが、娘は、はいわかりましたかのように日一日に

大きく可愛く育ってくれました。

娘は俺が育てるから安心して日本に行きなさいと家内の背中を押したものの

私に何ができるでしょう。またもや両家の母と姉たちに苦労を掛けることに

なりました。

娘は4か月になる冬休みに、故郷延吉にいる姉のところでおばあちゃんと一緒に

暮らす事になりました。生まれて2か月で母と別れ、4か月で父と別れて暮らす娘を

思うと気が気でなりませんでしたが、当時住んでいた大連外国語大学学生寮の

住居環境ではやむを得ず母と娘を延吉に送ることにしました。

娘が10か月になる7月の夏休みに娘と母を大連に迎えに行ったら、娘が一目で

パパと言って私を泣かせました。

娘が1歳2か月の時に家内が日本から帰った時も、ママと言って家内を泣かせました。

写真だけでお父さんとお母さんの顔を覚えてくれた娘には顔が立たない

ことはもちろん、いくら感謝しても感謝しきれません。

私たち親は、父としても母としても失格でしたが、娘は親のすべてを許し、

元気に育ち、赤ちゃんでありながら立派に親孝行してくれました。(つづく)