娘の講演翌日の5月31日朝のモーニングセミナー講師は家内と私が勤めました。
「夢に支えられる夫婦の絆~倫理とエベレスト~」のタイトルで家内が先に
登壇しました。
母親孝行の夢で結ばれた私たちの出会いから娘が生まれて2か月9日で広島大学単身
留学の葛藤、ヤエガキ在籍中の9件の特許開発、独立してマルセイ創立後の意見の違いで
起こる夫婦喧嘩、3回にわたる夫婦100キロ歩き、倫理との出会いで本当の夫婦愛和が
実現できたこと、特に私のエベレスト挑戦に対する葛藤、理解、応援過程を熱く語りました。
二人が知り合ってから今日までのいろんなことが走馬灯のように目の前を掠めていきましたが、
私の耳には家内の「関空で五体満足で帰った主人と周りの目も気にせず熱く長く抱き合っていた時、
私のこれからの人生はこの人のために生きるんだ固く決めました」との講演最後の言葉しか入り
ませんでした。胸がジンとしてきました。
続いて私が歌「希望の聖母峰へ~木元正均エベレスト登頂物語~」を放映しながら、私の生まれから
エベレスト挑戦に至った経緯を語りました。
この歌は姫路が生んだ音楽家吉田英子先生が私のエベレスト講演を一回聞いただけで作詞作曲しました。
吉田英子先生は2010年の中国上海万博に、日中友好親善大使として上海に招かれシンセサイザーで
「源氏物語」「敦煌よ永久(とわ)に」などを演奏しました。
木元正均エベレスト登頂物語
希 望 の 聖 母 峰 へ
作詞・作曲・歌・吉田英子 編曲 多田高弘
- 凍りついた 龍(りゅう)井(せい)の里 一人の勇者あり
望まれぬ 小さな命 生死(しょうじ)の山越えて
父との早き別れはなぜ? 問いかけ続けた
「生きて!生きて!強く生きよう!」と
我が子のための 天の計らいか
ああーああーありがとう ああーああー父母よ
ああーああーありがとう ああー姉(きょう)弟(だい)よ
- 母と暮らせる 夢を描いて 願ったビザがおりた
その時 母は病に倒れ 我が心張り裂けん
悔しき思いを いかにせんと 我は聖母(や)峰(ま)に挑むと
天国の 母に 一番近い エベレストで
苦労をかけた 母に 「ありがとう!」
ゆけゆけ エベレストへ ゆけゆけ 踏破せん
ゆけゆけ 母のため ゆけ 挑みたり
- 決断の心 変わることなく 立ちはだかる 厚き壁
強靭(つよき)き精神(こころ)と 身体(からだ)作りに 妻の力 大なり
わが身を 鍛えに 鍛えんと 重りつけて 御旅山(おたびやま)
日本と 世界と 我(ここ)心(ろ)を 制覇せんと
登り 尽くさん 峨峨(がが)たる山々
ゆけゆけ エベレストへ ゆけゆけ 踏破せん
ゆけゆけ 母のため ゆけ 世界へと
4.「必ず生きて帰って来て!」と すがりつく弟よ
やっと通じた 電話の向こうで 泣き崩れる妻ありき
「心配しないで 限界を 乗り越えるのは得意だよ」
「なぜに! なぜに! なぜにゆくのか?」
男の ロマンを 叶えてみたいと
ゆけゆけ エベレストへ ゆけゆけ 踏破せん
ゆけゆけ 母のため ゆけ ロマンのせて
- 山に(エベレスト)挑む 人多けれど 成せずに 故人となる
極寒の中で 鬼のクレパスが 地獄の口開く
髪は逆立ち 足はすくんで 山は死へと誘う
「決して!決して!決して負けないぞ!」
登頂目指して いざや往かん
ゆけゆけ エベレストへ ゆけゆけ 踏破せん
ゆけゆけ 母のため ゆけ 勝利へと
- 2011年5月20日 4時50分
満天の星と 月(がっ)天子(てんし)が 制覇の偉業 祝さん
この日 この時 黄金(きん)の歴史を 今ここに刻まん
「ありがとう母よ! I LAVE YOU 愛妻娘(つまこ)よ!」
縁深き 宝の人々よ
ゆけゆけ エベレストへ ゆけゆけ 人生の
ゆけゆけ 幸福(しあわせ)の ゆけ 希望の聖母峰
ゆけゆけ エベレストへ ゆけゆけ 宇宙(おおぞら)の
ゆけゆけ わが心 マイ エベレストへ
「マイエベレスト」として、マルセイ三分の一、ボランティア活動三分の一、
妻孝行三分の一 のこれからの私のライフワークを語り、最後に娘が関空で私のエベレスト
遠征を見送るとき、必ず飛行機に乗ってから読んでと言って渡してくれた手紙を朗読し、
会場全員の涙を誘いました。