今日9月19日は敬老の日です。
今朝の神戸新聞の正平調によると、敬老の日は1966年に制定されたが、
それをさかのぼること19年、1947年9月15日兵庫県多可町千代田区の村長
門脇政夫さんが村中のオート3輪車を集め、55歳以上の人を送迎し、ごちそうと
余興でもてなしたことが敬老の日のルーツになったそうです。
間もなく4歳になる孫からお花をもらいました。
「ジジババいつもありがとう!」と照れそうながらもはっきりと言ってくれました。
胸がジンとしてきました。
27年前娘を連れて然別湖を訪れたとき、然別湖はあいにく深い霧に包まれていて
残念でしたが、宿泊した湖畔の温泉旅館で暁烏敏の素晴らしい言葉に出会いました。
「十億の人に十億の母あるもわが母に勝る母ありなむや」
私なりにこの言葉の意味を娘に説明しましたが、娘は帰って夏休みの作文として
暁烏敏のこの言葉を引用しながら「私の母」を書きました。
この作文は兵庫県教育委員会の賞を受賞しましたが、娘の親孝行の心はこの時に
大きく目覚めたのではとこの北海道の旅に感謝しています。
その後娘は大白書中学校の初代女性生徒会長になったり、西高に進んだりして
私と家内を喜ばせてくれました。
中学生の時、私の誕生日にプレゼントしてくれた財布と名刺入れを私は今も
重宝しています。
大学を卒業するときは、全国大学大学院起業家コンテストで優勝とオーディエンス賞を
ダブル受賞し、優勝賞金を資本金に単身で上京し会社を起こしました。
私と家内の誕生日やお正月、敬老の日には必ず温泉旅行やお土産をプレゼントしてくれたり
して親孝行を怠りませんでした。
4年前は、7年間勤務した外務省を辞職した夫と一緒に姫路に戻り、マルセイを継ぐ事業に
とりかかり、またかわいい孫を抱かせてくれました。
「百善孝為先/親孝行することが一番の善行である」
私も家内も親孝行を生きがいとして少年期青年期壮年期を踏ん張ってきました。
娘の今日までの成長において、私たちとの共通点を幾度となく覚えながら誇りに思い、
感謝してきました。
孫の「ジジババいつもありがとう!」は、娘から孫の代への親孝行のバドンダッチであり
最高の敬老の日の感動でした。
台風14号が日本を縦断していますが天下の親たちが悲しい思いをしないよう手を合わせます。
半人前の発酵職人・素人俳人・吟詠初心者 木元正均
清峰流の創始 吟道清峰流 (eonet.ne.jp)(私が所属している吟道清峰流猶興吟詠会HPです)