先月の4月16日は川端康成逝去50周年の日でした。
同級生のH君が川端康成がノーベル文学賞受賞の知らせがあった次の日に
NHK企画の三島由紀夫との対談の動画を送ってくれました。
H君とは大学4年、大学院3年を一緒に勉強してきましたが、大学院ではH君は
日本文学を、私は日本言語学を専攻しました。その後H君は母校の吉林大学に残って
教師となり、更に神戸大学で日本文学の博士コースを修了しました。
めでたい日ですので、三島由紀夫が川端康成を立てて祝賀の話がメインでしたが、
これが三島由紀夫の切腹死とその2年後の川端康成ガス自殺のはじまりではないかと
思われて仕方がありません。
三島由紀夫文学登壇には川端康成の導きと抜擢が大きく、言わば三島由紀夫にとっては
川端康成は恩師のような存在ですね。
それがノーベル文学賞推薦候補を選定するときには、川端康成が、あなたは若いから
今回は私に譲ってくれないかと三島由紀夫に何度も迫ったとか。
このようなことを今更私が書いて何になるかといえばそれまでなんですが、唯々二人とも
私が尊敬する小説家ですので残念でなりません。
「長い国境のトンネルを抜けると雪国であった」
この実際のロケが見たくて私は25年ほど前に湯沢温泉を訪れたが、雪のゆの字も感じない
群馬側とトンネルを抜けたとたん5,6m積もっている雪の世界に度肝を抜かれました。
川端康成が泊まって雪国を書いたという高半旅館にも足を運び、「かすみの間」の
炬燵の座布団にも腰を下ろし、往年の川端康成の駒子の世界に暫し耽っていました。
仮にとは存在しませんが、仮に三島由紀夫がノーベル文学賞を受賞したら二人とも
天寿を全うしたのではと思うと、やはり問題はノーベル文学賞でしょうかね。
でも、私的には二人の不自然死が却って二人をもっと千古に残る有名人にしたと
思えばなんとなくほっとするような気になります。