姫路の地にゆかりのある和辻哲郎と柳田国男については度々ブログで
書いてきましたが、実は姫路と遠くない但馬とゆかりのあるもう一人の
偉人がいます。「城崎にて」の作者志賀直哉です。
志賀直哉は白樺派の代表的小説家でしたので、大学の授業にはなかったですが、
自分から進んで図書館に行き同じ白樺派の武者小路の「友情」や山本有三の
「ある女」などを読ませてもらいました。
志賀直哉は東京の山手線にはねられ、養生のため城崎温泉を訪れていますが、
「城崎にて」は、自分が主人公になって、偶然見かけた蜂の死と鼠の最後のあがき、
自分が脅かしてやろうと投げた小石に当たって死んでしまったイモリなどを通じて
生と死を克明に描きあげました。
山手線に引かれても自分が死ななかったのは、なにかやらなければならない仕事が
残っているのではと、生かされている自分に気づくのであります。
生きるか死ぬかは偶然のように見えますが、結果的には生かされているのですね。
母の胎内で始動を始めた私は、親の意志で死に向かっていたのですが、天の計らいで
命の綱をつないでもらうことができました。
また、大学で退学処分を受けたときは、自分の命を絶つ覚悟で、大学の指導部と
直談判を行い、ついに学籍を取り戻しました。
また、エベレストへの挑戦は、生に憧れながら、生に執着しながら、三途の川を
歩き、生かされてエベレスト山頂から姫路に五体満足で戻りました。
三度も死から生かされている自分の、今生きる喜びをどのように感謝し、どのように
恩返しをしなければならないのかが、これからの私の使命であることを100年以上
前に書かれた「城崎にて」から今一度教えてもらったような気がしてなりません。