日本人初ヨットで世界一周を達成した松下紀生さんが今年の4月
80歳で亡くなられました。
28歳の時仲間四人とコンクリート製のヨットで世界一周に挑戦しましたが、
達成できず、その後黙々と再挑戦の夢を追い続けました。
37年後65歳にしてヨットで世界一周の夢を達成し姫路に戻ってきました。
ちょうどその時私はエベレストの夢を追い求めていたので、生死の大冒険を
成功させた松下さんを心より尊敬するようになりました。
ちょうどカナダに住んでいる松下さんの奥さんと二人の娘さんが姫路に
来ていたので妻鹿の自宅に呼んで盛大なパーティーをさせてもらいました。
松下さんは温厚で優しいひとですが芯の強い、太っ腹で酒の強い海男でした。
航海世界一周の講演でも決してうぬぼれたり大げさに表現したりすることなく
淡々と事実の経過だけを話しました。
3年後私がエベレスト登頂に成功したら、わざわざ講演を聞きに来てくれました。
当時は日本とカナダオーストラリアを行き来していましたが、どこから聞いたか
たつの市国際交流協会が主催した講演会に奥さんと一緒に突然現れたのでびっくり
感動しました。感想会では冬場の山の方が海より危険だとコメントしたので、私が
間髪を入れず、それは海の荒波の方がもっと危険でしょうと言って真剣勝負のムード
だった会場に笑いが起こりました。海を極めた男からの祝福と賛辞に胸が熱くなりました。
その後松下さんのヨット秋津洲で家島に行ったり灘のけんか祭りの潮かきの儀を秋津洲に
乗って海から観覧したり、何かにつけお世話になりました。
先日奥さんのジョアンさんがカナダに戻るので送別会を
しました。松下さんが一回目の世界一周挑戦で一緒だった
長濱秀春さん(「わが青春の秋津洲」著者)がそばを打ち、
私が家族団らんの中華料理を作りました。
ジョアンさんが慣れない日本語で書いた松下さんへの思い出の
手記や長濱さんのカナダでの金髪美人とのほろ苦い恋の
エピソートなどで偉大な航海家・冒険家松下さんを偲び、
その偉業の達成を支えたジョアンさんを讃えてあげました。