日本人の心に残る歌100選に「母さんの歌」があります。
お正月の歌の番組には必ず紹介される歌です。
私が中国の大学で「四季の歌」「北国の春」などと最初に覚えた日本の歌の一つです。
特に第3段の「母さんのあかぎれ痛い生味噌をすりこむ」が、昔食糧難の時代母が
真冬の中でも山の中の畑に行って雪をかき分けながらトウモロコシや豆の粒を
拾い、手足のあかぎれに味噌をぬるシーンと重なりましたので何年経っても歌詞を忘れた
ことはありませんでした。昔あかぎれに味噌をぬるときの母の顔は私の目に焼き付き、
いや私の胸に焼き付き、大きくなったら必ず母を楽にしてあげると何度誓ったことでしょう。
ということで、エベレスト講演の時私はよくこの「母さんの歌」を紹介します。
去年12月岡山県倉敷倫理法人会で講話させていただきましたが、その時のHさんが
「母さんの歌」の作詞作曲家の窪田聡先生を知っているので紹介しますと縁を
繋いでくれました。
本来は3月28日窪田聡先生の音楽会に参加する予定でしたが、私の不摂生で熱を出して
しまい参加できなくなりました。コロナ禍の中での苦渋の選択でした。
お詫びの電話を窪田先生にしたところ、連休中都合が合えば岡山の牛窓まで来てくれでも
いいですよとご了承いただきました。
正直これまで「母さんの歌」は幾度となく歌わせていただきながら、作詞作曲家のことは
全然頭にありませんでした。
私が生まれて一年後の1956年、窪田先生が20歳の時の作品と聞いてまず驚きました。
さらに先生が東北や信州の雪国の出身ではなく、東京生まれの東京育ちというから思わず
えっと声を出してしまいました。
また、多くの人は久保田先生自身を親孝行の人だと信じ込んでいるが、実は高校卒業と同時に
家出をした親不孝の人だと言っていました。家出の理由も文学を目指している自分に「大学に
行きなさい」という母の説教が嫌だったからだそうです。
ただ小学校3年生の時に東京空襲を逃れて1年間父と母の実家の長野の山奥に疎開したことがあり、
それが「母さんの歌」誕生の秘話でした。
86歳の高齢でありながら窪田先生は心身ともに至ってお元気で音楽活動の生涯現役を貫いています。
「母さんの歌」の誕生秘話だけでなく歌詞の行間に秘められた詞情や背景も詳しく話していただきました。
「母さんの歌」の誕生は窪田先生の最大で最高の親孝行ですと讃えてあげました。
海が一望でき、近くに神社の森がうっそうとした丘の上に立つ先生の音楽広場「自由空間DON」の前で
記念写真を撮りました。そしていつか窪田先生の音楽会を姫路で開催することをお願いして
先生のご自宅を後にしました。