负荆请罪とは、鞭を背負って罪を詫びることで深く反省する意味です。
今から2300年ほど前の中国戦国時代、趙の国に廉頗という猛将がいました。
戦国時代4名将の一人で何度も大国秦王朝の侵攻を撃退しました。
趙の国には簾相如という素晴らしい宰相がいて政治を賄っていましたが、
簾頗将軍はいつも不服し、「私は千軍万馬を率いて命がけで国を守っているのに
あいつは口一つで飯を食い、しかも私の上におるのはけしからんと機会を狙っては
恥ずかしめてやろうとしました。
それをわかった簾愛如はいつも簾頗を避けて通りました。臣下たちは不思議に思い、
宰相はなんで簾将軍を怖がるんですかと聞きました。
そこで簾相如は言いました。「秦の王様と簾将軍はどちらが強いか」
「それは秦の王様のほうがもっと強いに決まっていますよ」
「私は秦の王様もこわがっていないのに簾将軍を怖がるもんか。
ただし、私と簾将軍が不和ということになれば、すぐ秦の大軍が攻めてきて
我が国は滅びてしまうのだ」
この話を聞いた簾頗はおろかな自分を恥じ、上半身を裸にし、棘の鞭を背負って
簾相如のところに行きました。つづく。