吉中さんご夫妻はその後北海道旅行に行ったり、石川の温泉に行ったりして
二人の時間を楽しみました。
4年後ご主人はなくなられますが、吉中静子さんは、3か月の余命が4年以上
伸びたのは木元聖花先生のおかげだと、マルセイとWAHAHAの会のイベントに
積極的に参加しました。
個人的にも私たちの自分の子供のようにかわいがってくれました。
2010年2月6日私と家内は3回目の100キロウォークに挑戦しました。
姫路城から大阪城まで夜通し歩くのです。
出発の時、吉中さんが「木元ご夫妻頑張れ」の大きなプランカートとのぼりを
作って応援に駆け付けてくれました。
胸が熱くなりました。
これまでに三河湾100キロと福岡の行橋から別府までの100キロと2回
歩きましたが、今回が私にとって最強の試練となりました。
と申しますのは、エベレスト挑戦のため、大みそかに吹雪の中燕岳に
登りましたが、右足の太股をけがしてしましました。
2か月ほど経ち普通に歩くのは問題ないですが、100キロとなると
激痛を起こします。右足をかばうとすぐ左足も痛くなり、大阪城に
ゴールインしたときには、精根ともに尽き果ててしましました。
その時、吉中さんが大阪城に迎えに来てくれ、すぐ温泉に連れて
行ってくれました。感極まりありませんでした。つづく。