庭が一気に春を感じるようになりました。
桔梗が、芍薬が、ボタンが気勢を上げながら春を
競い、長い冬の間冬眠していた亀の福ちゃんも水面から
顔をのぞき、餌をねだりました。
姫路獨協大学での活躍を申太海先生も大変喜んでくださいました。
申先生の期待を裏切り、吉林大学を離れましたが、申先生に喜んで
もらえるような論文を書き、博士号を以って恩返しにしようと決めました。
それがいとも簡単に志を曲げて拝金主義に走ってしまいました。
学問をする者は古より清貧を尊しとしますが、今にしてみれば
なるほどと痛いほど納得がゆきます。
その後申太海先生は日本語普及のために南方に赴き、
私もアメリカへ行ったりして連絡がと絶えてしまいました。
胸を張って報告できるような状態ではなかったので、申先生が
逝去されたことを知ったのは、エベレストに持って登った
吉林大学校旗の返納に母校を訪れた時でした。もう何年も経っての
事でした。
今回申太海先生の娘さんご夫妻を日本に招待したことが、少しでも
申太海先生への供養になればと願っています。
申先生のご冥福を心より祈念申し上げます。(おわり)