大学のクラスメートYさん親子が33年振りに姫路に来てくれました。
お互いに顔の年輪は隠せませんが、往年の20代の顔模様を確認する
ことができ大はしゃぎました。
姫路城を案内し、翌日には車で広島の宮島と広島原爆平和資料館を
案内してあげました。
姫路城の素晴らしと宮島の美しさにYさん親子は感動の連続でした。
原爆平和資料館でYさんの高校生の息子さんは熱心に英語の解説に
見入っていました。
大学卒業時、日本語学科には二班のクラスがありましたが、
私は2クラスの班長でした。それより年齢的に同級生より6歳ほど
上でしたのでクラスメートからは「兄貴」と呼ばれていました。
それが卒業の時に限って「兄貴」の責任を果たせずでした。
当時は大学卒業生の就職先は国が保証してくれますが、どこに
飛ばされるかは、本人次第ですが、学校と学部の就職係りが絶大な
決定権を持っていました。
中国では7月に大学を卒業しますが、私は3月にすでに大学院に
受かっていたので就職先の心配はありませんでした。
当時大連工業大学で教鞭をとっていた今の家内とほとんど結婚が
決まっていたので、私は家内が長春に着くや否やすぐ二人で大学を
離れ、ふるさとの延吉に戻りました。
本当は最後まで皆さんの就職先が決まるのを待って、皆さんを駅まで
見送らなければならないですが、恋の蜜壺にすっかりはまってしまった
私はクラスメートを顧みる余裕がありませんでした。
今になっては後悔先に立たずですが、何とか皆さんに償いをしたいと
思います。私の都合の取れる時に姫路に来てくれるクラスメートは
誰でも1泊2日の案内をしてあげることにしています。
温泉に行きたい人は有馬か城崎か湯村か選んでもらい、京都とか
奈良に興味があればそれもOKです。もちろん姫路城必須科目です。
「朋有りて遠方より来たり、楽しからずや」も大事ですが、
観光、食事、宿泊などすべてにおいて、昔の「兄貴」のビタミン愛を
感じてもらいたいと思います。