中国清王朝の時代に黄景仁(1749年―1783年)という名人がいました。
小さいときに父親に死に別れ、母親が苦労しながら育ててくれました。
黄さんも母親孝行を夢に小さい時から勉学に励みました。
田舎での勉強はままならず、大志を抱いて遊学にでました。
「別老母/老母に別れを告げる」は、老母を置いて遊学に出る時の心境を書いたものです。
別 老 母 黄景仁
搴帷拜母河梁去/母に別れを告げ帳を捲って遊学に出る,
白发愁看泪眼枯/白髪ばかりの老母の目は心配で涙も枯れている。
惨惨柴门风雪夜/吹雪の夜木戸は悲鳴を上げてる,
此时有子不如无/こんな親不孝な息子どこにあろうか。
私も家内も年老いた母を故郷において日本へ来ました。
他の中国のお母さんたちが体験できない幸せを母にプレゼントしようとして
日本に来ましたが、結局母が、義母が亡くなるとき、最後を見届けることが
出来ませんでした。無念極まりありません。黄景仁の詩を以って母に、義母に
許しを乞うばかりです。