私の母④
母、82歳、元気が自慢で若々しかった母。4月27日に突然脳出血で倒れました。
青天霹靂でした!
自分の母に限っていつまでも元気で健康でいてくれると信じていました。...
が、現実は私の希望を裏切りました。母の命に限りがある!ことをしみじみに感じている今の毎日です。
私たち五人兄弟を生んで育ててくれた母。愛してくれる父と結婚して幸せな人生を送るはずの母。その幸せを奪ったのが中国前代未聞の文化大革命でした。
小学校の校長をしていた父が文化大革命の時に迫害を受け、家庭経済が破綻してしてしまいました。その時母が立ち上がりました。昼は煉瓦をつくる仕事、夜はセメントをつくる仕事をして私たち家族を守ってくれました。
父が迫害を受けて肺結核になったとき、母は一生懸命に看護をしていました。母の献身的看護も実ることなく、父は49歳で他界しました。父の死亡原因は抗生物質の副作用による肝不全でした。あの時まで私はまったく医学知識も健康に関する知識もなかったです。病気は病院で治してくれる、医師が治してくれるとばかり思っていました。結果父は助かることなく亡くなりました。
父が他界したあと、一緒に暮らしていた祖母も長男を亡くしたショックで脳出血で倒れてまもなく亡くなりました。
相次いで愛する家族を失ったショックで母は病気で倒れました。B型肝炎末期と診断されました。余命三か月、長くで半年命と言われました。父と祖母を失った私たち子供は母しか残っていません。絶対母を失うわけにはいきません。
そのとき、私と姉が立ち上がりました。私たちで母を助けようと決心したのです。病院から勧められた抗生物質の治療は拒否しました。(続く)
写真は母が8年前に日本に来たとき娘と私と一緒に撮った写真です。
母74歳、若かった!