義母は延べ6年間我が家で暮らしました。
3人の姉と義兄たちも日本に招きました。
娘も大きくなりました。
私は幸せの渦の中にいながら、気が晴れない時が多々ありました。
一番孝行をしてあげたかった母を日本に呼ぶことが出来なかったからです。
自分が幸せになればなるほど、母への申し訳なさと無念さが強くなりました。
娘が大学に入って間もなく、私はエベレスト挑戦を決めました。
4年くらいトレーニングをしてエベレストに挑戦する時には、娘が大学を卒業します。
エベレストで万が一のことがあったとしても、
娘に対しては最低の義務を果たしたことになると思いました。
娘が泣きながら「エベレストでもしものことがあったら、
だれとバージンロードを歩くんや」と反対しました。
妻が「そこまでエベレストへ行きたいなら、
会社の抹消手続きをしてからいきなさい」と反対しました。
しかし、わたしはすでに覚悟を決めていました。
天国に一番近いエベレストで、これまで一回も言わなかった
「お母さん、ありがとう!」「お母さん、生んでくれてありがとう!」
を叫ぶことを… …