1983年3月、大学卒業を間近にしていたとき、
愛のキュービットは、私を今の妻聖花と赤糸で結んでくれました。
当時聖花は大連工業大学の教師をしていて、1000キロも離れていました。
文化大革命で恋がご法度だった二人は、きれいな大連の海辺で恋を育みました。
聖花に一目ぼれした私は、この女だったら命を懸けてもよいと決め、猪突猛進でアタックしました。
生まれて初めて見る海を、生まれて初めてぞっこん惚れ込んだ彼女に例え、恋心を爆発させました。
嗚呼、海よ!
僕は君にすべてを失われた
僕は君からすべてを賜れた
物言わぬ君は
見えぬ僕の胸に
静まらぬ波を立たせ
僕は叫ぶ
君に抱かれて
いつまでも
いつまでも
一年近くの激しい手紙合戦を経て、1984年2月9日二人はめでたく結婚しました。
当時の手紙合戦のことを思い出すと、今でも胸がときめきます。
二人とも中国の東北の山奥に生まれ、文化大革命の激しい洗礼を受けながら育ちました。
そして奇しくも同じ年齢の時に文化大革命の迫害で父を亡くし、
母孝行を生きがいにあまたの苦難に耐えながら、踏ん張ってきました。
二人だけの結婚式は至って質素でした。
四畳半ほどの教師寮で、指輪の交換もなく、涙ぐみながら誓いのさかずきを交わしました。
親族から頂いた祝儀金で母には羊毛のコートを、義母には毛糸のセーターを送りました。… …